『Wake Up,Girls!』 舞台探訪(聖地巡礼) ~Part3.気仙沼編~
東北・仙台を舞台にした作品『Wake Up,Girls!』の舞台探訪(聖地巡礼)、3回目の今回は、宮城県北東部の気仙沼の舞台を紹介します。
9話の合宿先で登場しました。
ご存知の通り、気仙沼は東日本大震災の被災地の一つで、作中のカットでも津波の傷跡が深々と描写されていました。
登場人物の中にも震災で傷を負ったキャラがいて、9話は見ていてとても胸を打たれるものがありました。
もともとWUGのオンエア以前から被災地を訪れてみたい想いがあったので、仙台の探訪時間を削ってでも気仙沼の訪問は外せなかったわけです。
今回の気仙沼訪問によっていろんな想いをめぐらせることになり、通常の舞台探訪とは大きく異なったものとなりました。
【気仙沼市役所前】

メンバーが下車したのは気仙沼市役所前のバス停。
ワン・テン庁舎と呼ばれ、複合ビルだったのを市が買い取って利用しています。
仙台市からの高速バスを使った設定のようです。
私は気仙沼駅から市内循環バスで港へ向かいました。

気仙沼駅は内陸部にあり、津波の被害はなかったので駅付近の市街地では津波の傷跡は直接は見られませんでした。
しかし海に近づくにつれ、被災地の現状を目にすることになりました。
【気仙沼港周辺】

七十七銀行跡地の交差点。
テレビで散々見て覚悟はしていましたが、やはりこの光景を目の当たりにすると言葉がなくなります。
旅館や商店が立ち並ぶ商店街がありました。

港沿いの通り、内湾商店街。
商店街としては寂しくなっています。
折れ曲がった標識は、かつて観光さん橋駐車場や魚市場への案内表示でした。

港ふれあい公園付近だと思われますが、もはやよく分かりませんでした。

七十七銀行があった商店街の通り方向を。
ここは菓子店があった建物でした。
このお店は今は復興商店街で営業中です。

その菓子店の角の斜め向かいにある場所。
「3.11 GROUND ZERO」と書かれたオブジェがありました。
あの日を忘れない。
【旅館・大鍋屋】

明治28年創業の老舗旅館です。
津波で甚大な被害を受けたようですが、再建して営業しております。

このカットからも分かるように周辺の建物は被害が大きくて取り壊されたものも少なくありません。
未舗装の駐車場は多くが建物があった場所です。

【五十鈴神社】

五十鈴神社前の東浜街道。
気仙沼市街地と鹿折・唐桑地区を結ぶ道です。

鳥居前。


見下ろす町並みは、震災前とは一変してしまいました。

昭和初期からの魚町の町並みが残っていたようですが、震災で失われてしまいました。



ここからは回想シーン。
神社の鳥居の右側は、震災前を再現して描かれたようです。

五十鈴神社の境内。
高台にあるため津波の被害を免れました。


この回を視聴してると、この辺の回想シーンは胸を打たれますね・・・。

神社の高台から見下ろした町並み。
いつかはきっと花は咲くんだなと思いました。
【村田漁業製氷工場】

高台にあるホテル望洋の前から撮影。
先ほどの神社の向かい側です。

このカットの左手を眺めると、鹿折地区が見えます。
この地区は震災後に大火災が発生して壊滅した地区ですが、現在ではかさ上げ工事が終了し、新たに水産加工工場などの分譲が始まっているようです。
メディアでの報道は小さくなってきてますが、この目で見ないと分からない被災地の復興への歩みを知ることができました。
【復興屋台村・気仙沼横丁】

復興屋台村気仙沼横丁は、震災の年にオープン。
被害を受けた沿岸部の飲食店などが数多く入居しています。
プレハブの店舗ですが、味や品質は超一流、本場の味が堪能できます。

男子厨房海の家。
震災によりそれぞれ経営していた民宿と自宅を失った男性三人が、失意の中から力を 合わせて立ち上がった希望の店が「男子厨房 海の家」です。

いろんなお店をめぐりたかったのですが、GWのピークでどこも大混雑で巡り切れなかったのが残念でした。
でも、この復興屋台村、活気に溢れててみんな元気でした!
被災地から復興に向かったパワーを感じ取れ、本当に来てよかったと思いました。

【港ふれあい公園・観光さん橋前】

夏夜と語り合うシーン。
この回のクライマックスでした。

この場所、後方は今は仮設の駐車場になっていますが、震災前はエースポートとよばれる大きな3階建ての複合施設と立体駐車場がありました。
船着場を兼ねていた施設は大島航路の象徴的な建物だっただけに、当時を知る人は雰囲気の一変に驚かされるばかりでしょう。

今では木製の土台だけが変わらぬ姿で残っています。




他のメンバーが隠れていたのは、森進一の「港町ブルース」の歌碑のモニュメントです。

このモニュメントも震災の影響で大きな打撃を受け、形が変わってしまいました。
モニュメントに近づくと気仙沼が歌詞に出てくる2番のメロディーが流れていたそうです。
今では何も音楽は流れません。
この曲は全国の港町が歌われており、私の地元の高松も歌詞に登場しています。
なお、森進一さんは震災の慰問で宮城県を訪れています。





このエリアもかさ上げが予定されており、いずれは新しい観光桟橋のターミナルが姿を現すことでしょう。
気仙沼は大きな傷を受けても、負けることなく前を向いて進んでいくのが分かりました。
「ここで生きる」というテーマにふさわしい場所だったと思います。
そして、監督が伝えたかったアイドルと震災復興についてが、ようやく見えてきたような気がしました。

以上、震災への思いを織り交ぜながらですが、WUGの気仙沼編の舞台探訪でした。
気仙沼港は、あの日が嘘のように穏やかでした。
次に訪れるときは、復興を遂げた新しい気仙沼の港町になっていることを願っています。
【帰路・気仙沼線BRT乗車記】

気仙沼からの帰りは、気仙沼線BRTに乗ってみました。
小さな旅ホリデーパスの南東北フリーエリアに含まれているので、そちらを使えばお得です。
ただ、バスなので時間がかかりすぎるのが難点ですね。
バスは新しいハイブリッド仕様でした。


気仙沼線の線路だった軌道跡を道路にしているので、走りやすいです。

鉄道時代と違うのは、バスレーン側に踏切があることですね。
結局はバスなので、一般道区間を中心に、乗り心地はあまりよくなかったです。

駅舎・停留所は洗練されたデザインでよかったです!

所々に気仙沼線の橋げたが落ちている光景が見られ、震災の爪あとが残っていました。
高台には建物があるけど、土地の低い場所には建物があまりない、そんな沿線風景でした…。

それでも、かさ上げが完了している地域など、復興に向かって歩んでいる風景を見ることができました。

テレビでもよく報道された、南三陸町の防災庁舎跡。
これを見ると震災があったことが思い起こされます。
震災のランドマークのような存在ですが、震災遺構を見ると苦しいという人もいるので、残すか取り壊すか課題になりそうです。
気仙沼線のBRT区間は、ここから柳津まで続いています。
記事の趣旨をちょっと外れるかもしれませんが、気仙沼線乗車レポでした。

生まれも育ちも西日本の私には、東日本大震災は報道を通じて出ないと実感できないものでした。
日常生活の中では、震災のことを思い浮かべにくい日々でした。
それが、このアニメを通じて被災地への思いと関心が高くなり、被災地を訪れることができました。
被災地の人々が負った傷や悲しみはとても想像しきれません。
それでも、元気に前を向いて歩みながら日常を取り戻そうとしている光景には、私も元気をもらうことができました!
今回の東北遠征によって、今までにない経験や考え方を得ることができたと思います。
この記事では「Wake Up,Girls!」の作品画像を比較研究目的のために引用しております。画像の著作権はGreen Leaves/Wake Up,Girls製作委員会にあります。
9話の合宿先で登場しました。
ご存知の通り、気仙沼は東日本大震災の被災地の一つで、作中のカットでも津波の傷跡が深々と描写されていました。
登場人物の中にも震災で傷を負ったキャラがいて、9話は見ていてとても胸を打たれるものがありました。
もともとWUGのオンエア以前から被災地を訪れてみたい想いがあったので、仙台の探訪時間を削ってでも気仙沼の訪問は外せなかったわけです。
今回の気仙沼訪問によっていろんな想いをめぐらせることになり、通常の舞台探訪とは大きく異なったものとなりました。
【気仙沼市役所前】


メンバーが下車したのは気仙沼市役所前のバス停。
ワン・テン庁舎と呼ばれ、複合ビルだったのを市が買い取って利用しています。
仙台市からの高速バスを使った設定のようです。
私は気仙沼駅から市内循環バスで港へ向かいました。

気仙沼駅は内陸部にあり、津波の被害はなかったので駅付近の市街地では津波の傷跡は直接は見られませんでした。
しかし海に近づくにつれ、被災地の現状を目にすることになりました。
【気仙沼港周辺】


七十七銀行跡地の交差点。
テレビで散々見て覚悟はしていましたが、やはりこの光景を目の当たりにすると言葉がなくなります。
旅館や商店が立ち並ぶ商店街がありました。


港沿いの通り、内湾商店街。
商店街としては寂しくなっています。
折れ曲がった標識は、かつて観光さん橋駐車場や魚市場への案内表示でした。


港ふれあい公園付近だと思われますが、もはやよく分かりませんでした。


七十七銀行があった商店街の通り方向を。
ここは菓子店があった建物でした。
このお店は今は復興商店街で営業中です。


その菓子店の角の斜め向かいにある場所。
「3.11 GROUND ZERO」と書かれたオブジェがありました。
あの日を忘れない。
【旅館・大鍋屋】


明治28年創業の老舗旅館です。
津波で甚大な被害を受けたようですが、再建して営業しております。


このカットからも分かるように周辺の建物は被害が大きくて取り壊されたものも少なくありません。
未舗装の駐車場は多くが建物があった場所です。


【五十鈴神社】


五十鈴神社前の東浜街道。
気仙沼市街地と鹿折・唐桑地区を結ぶ道です。


鳥居前。




見下ろす町並みは、震災前とは一変してしまいました。


昭和初期からの魚町の町並みが残っていたようですが、震災で失われてしまいました。




ここからは回想シーン。
神社の鳥居の右側は、震災前を再現して描かれたようです。


五十鈴神社の境内。
高台にあるため津波の被害を免れました。




この回を視聴してると、この辺の回想シーンは胸を打たれますね・・・。

神社の高台から見下ろした町並み。
いつかはきっと花は咲くんだなと思いました。
【村田漁業製氷工場】


高台にあるホテル望洋の前から撮影。
先ほどの神社の向かい側です。

このカットの左手を眺めると、鹿折地区が見えます。
この地区は震災後に大火災が発生して壊滅した地区ですが、現在ではかさ上げ工事が終了し、新たに水産加工工場などの分譲が始まっているようです。
メディアでの報道は小さくなってきてますが、この目で見ないと分からない被災地の復興への歩みを知ることができました。
【復興屋台村・気仙沼横丁】


復興屋台村気仙沼横丁は、震災の年にオープン。
被害を受けた沿岸部の飲食店などが数多く入居しています。
プレハブの店舗ですが、味や品質は超一流、本場の味が堪能できます。


男子厨房海の家。
震災によりそれぞれ経営していた民宿と自宅を失った男性三人が、失意の中から力を 合わせて立ち上がった希望の店が「男子厨房 海の家」です。

いろんなお店をめぐりたかったのですが、GWのピークでどこも大混雑で巡り切れなかったのが残念でした。
でも、この復興屋台村、活気に溢れててみんな元気でした!
被災地から復興に向かったパワーを感じ取れ、本当に来てよかったと思いました。

【港ふれあい公園・観光さん橋前】


夏夜と語り合うシーン。
この回のクライマックスでした。


この場所、後方は今は仮設の駐車場になっていますが、震災前はエースポートとよばれる大きな3階建ての複合施設と立体駐車場がありました。
船着場を兼ねていた施設は大島航路の象徴的な建物だっただけに、当時を知る人は雰囲気の一変に驚かされるばかりでしょう。


今では木製の土台だけが変わらぬ姿で残っています。








他のメンバーが隠れていたのは、森進一の「港町ブルース」の歌碑のモニュメントです。

このモニュメントも震災の影響で大きな打撃を受け、形が変わってしまいました。
モニュメントに近づくと気仙沼が歌詞に出てくる2番のメロディーが流れていたそうです。
今では何も音楽は流れません。
この曲は全国の港町が歌われており、私の地元の高松も歌詞に登場しています。
なお、森進一さんは震災の慰問で宮城県を訪れています。










このエリアもかさ上げが予定されており、いずれは新しい観光桟橋のターミナルが姿を現すことでしょう。
気仙沼は大きな傷を受けても、負けることなく前を向いて進んでいくのが分かりました。
「ここで生きる」というテーマにふさわしい場所だったと思います。
そして、監督が伝えたかったアイドルと震災復興についてが、ようやく見えてきたような気がしました。


以上、震災への思いを織り交ぜながらですが、WUGの気仙沼編の舞台探訪でした。
気仙沼港は、あの日が嘘のように穏やかでした。
次に訪れるときは、復興を遂げた新しい気仙沼の港町になっていることを願っています。
【帰路・気仙沼線BRT乗車記】

気仙沼からの帰りは、気仙沼線BRTに乗ってみました。
小さな旅ホリデーパスの南東北フリーエリアに含まれているので、そちらを使えばお得です。
ただ、バスなので時間がかかりすぎるのが難点ですね。
バスは新しいハイブリッド仕様でした。


気仙沼線の線路だった軌道跡を道路にしているので、走りやすいです。

鉄道時代と違うのは、バスレーン側に踏切があることですね。
結局はバスなので、一般道区間を中心に、乗り心地はあまりよくなかったです。

駅舎・停留所は洗練されたデザインでよかったです!

所々に気仙沼線の橋げたが落ちている光景が見られ、震災の爪あとが残っていました。
高台には建物があるけど、土地の低い場所には建物があまりない、そんな沿線風景でした…。

それでも、かさ上げが完了している地域など、復興に向かって歩んでいる風景を見ることができました。

テレビでもよく報道された、南三陸町の防災庁舎跡。
これを見ると震災があったことが思い起こされます。
震災のランドマークのような存在ですが、震災遺構を見ると苦しいという人もいるので、残すか取り壊すか課題になりそうです。
気仙沼線のBRT区間は、ここから柳津まで続いています。
記事の趣旨をちょっと外れるかもしれませんが、気仙沼線乗車レポでした。

生まれも育ちも西日本の私には、東日本大震災は報道を通じて出ないと実感できないものでした。
日常生活の中では、震災のことを思い浮かべにくい日々でした。
それが、このアニメを通じて被災地への思いと関心が高くなり、被災地を訪れることができました。
被災地の人々が負った傷や悲しみはとても想像しきれません。
それでも、元気に前を向いて歩みながら日常を取り戻そうとしている光景には、私も元気をもらうことができました!
今回の東北遠征によって、今までにない経験や考え方を得ることができたと思います。
この記事では「Wake Up,Girls!」の作品画像を比較研究目的のために引用しております。画像の著作権はGreen Leaves/Wake Up,Girls製作委員会にあります。
- 関連記事
-
- 『Wake Up,Girls!』 舞台探訪(聖地巡礼) ~Part3.気仙沼編~
- 『Wake Up,Girls!』舞台探訪(聖地巡礼) ~Part2.仙台市街地北部編~
- 『Wake Up,Girls!』舞台探訪(聖地巡礼) ~Part1.仙台市街地南部編~
スポンサーサイト
trackback
コメントの投稿
ありがとう
気仙沼出身者です。
せっかく地元がアニメの舞台になったので、帰省の際に見て回ろうとこの記事を拝見しました。
思わずうるっときてしまいました。
自分は当時、ちょうど気仙沼を離れており、仙台市の内陸にいたため、被害はあまり受けませんでした。
しかし、家族と連絡が取れなかったこと、山道を5時間かけて戻った街の情景、友人に会えた時の安堵など、沢山のことを思い出しました。
この記事を見て、もっと多くの人が気仙沼に来てくれることを願っています。
冷やかしでもいいんです。
人が来るということは、街が活気付く動力源ですから。
この記事を書いてくださったこと、心から感謝しています。
ありがとう。
せっかく地元がアニメの舞台になったので、帰省の際に見て回ろうとこの記事を拝見しました。
思わずうるっときてしまいました。
自分は当時、ちょうど気仙沼を離れており、仙台市の内陸にいたため、被害はあまり受けませんでした。
しかし、家族と連絡が取れなかったこと、山道を5時間かけて戻った街の情景、友人に会えた時の安堵など、沢山のことを思い出しました。
この記事を見て、もっと多くの人が気仙沼に来てくれることを願っています。
冷やかしでもいいんです。
人が来るということは、街が活気付く動力源ですから。
この記事を書いてくださったこと、心から感謝しています。
ありがとう。
2014-12-31 09:32 :
miu URL :
編集
Re: ありがとう
被災地の惨状はテレビなどで見ていましたが、実際に訪れてみるまで見えない面も多かったです。
家や身近な人を失った悲しみは私には想像もつかないものだと思います。
WUGを見るまでは被災地に行っても何ができるのだろうと考えていたんですが、舞台探訪をきっかけにブログで取り上げることで気仙沼が復興に向かっていることを発信できればと思い、訪れることができました。
震災に負けずに頑張っている人々の姿を見て、私まで元気をもらえたと思います。
これからも何度か東北を訪れて、復興に向かう姿を見て行きたいと思ってます!
家や身近な人を失った悲しみは私には想像もつかないものだと思います。
WUGを見るまでは被災地に行っても何ができるのだろうと考えていたんですが、舞台探訪をきっかけにブログで取り上げることで気仙沼が復興に向かっていることを発信できればと思い、訪れることができました。
震災に負けずに頑張っている人々の姿を見て、私まで元気をもらえたと思います。
これからも何度か東北を訪れて、復興に向かう姿を見て行きたいと思ってます!
2015-01-02 21:28 :
リジス URL :
編集